西金沢駅の東側、米泉町(よねいずみまち)。このサイトではこれまで、一向一揆、神社、川、市町村合併、商店街、郵便局と、別々の切り口で米泉の話を書いてきました。年号を拾って一列に並べると、伝承の12世紀から2026年まで、この町の出来事が1本の線になります。
この記事は、すでに公開した6本の記事に書いた事実だけでつくっています。新しく調べ足した事実はありません。各行の詳しい話と出典は、リンク先の元記事にあります。
米泉町の年表
| 年 | 出来事 | 元記事 |
|---|---|---|
| 天仁元年(1108年) | 日吉社の神体が一時搬出されたという口伝がある(伝承) | 米日吉神社 |
| 1488年(長享2年)6月 | 一揆勢が守護・富樫政親を高尾城に包囲し、政親が自刃。大将のひとりが米泉の洲崎慶覚 | 洲崎慶覚 |
| 1491年(延徳3年) | 冷泉為広の記録に、慶覚がこの地に邸宅を構えていたことをうかがわせる記述 | 洲崎慶覚 |
| 明治9年 | 日吉社の社殿を再建 | 米日吉神社 |
| 明治12年10月15日 | 「日吉社」から「米日吉神社」へ改称 | 米日吉神社 |
| 明治22年(1889年) | 町村制で三馬村の一部になる | 金沢市になった年 |
| 昭和11年4月1日 | 三馬村が金沢市に編入される | 金沢市になった年 |
| 昭和39年(1964年) | 米日吉神社の社殿を新築(いまの社殿) | 米日吉神社 |
| 昭和49年7月 | 前線豪雨で伏見川等が氾濫 | 伏見川の水害史 |
| 1986年(昭和61年)4月 | 西金沢駅前と米泉町の県道沿いの商店街が合併し、西金プリンスロード商店会が発足 | プリンスロード |
| 平成18年(2006年)8月 | 伏見川が高橋川とともに県の水位周知河川に指定される | 伏見川の水害史 |
| 2023年11月23日 | 米泉町7丁目のノルマン洋菓子店がリニューアルオープン | プリンスロード |
| 2026年3月19日 | 米泉町8丁目の西金沢駅前郵便局が最終営業日を迎える | 郵便局の閉局 |
天仁元年の口伝は、神社側に伝わる話として紹介されているもので、裏付けとなる史料は確認できていません。年表には「伝承」として載せています。
昭和49年の氾濫は、県の整備計画が「伏見川等が氾濫」と記しているもので、米泉町のどこがどれだけ浸水したかは確認できていません。
並べてみてわかること
年表にすると、記録の濃さに大きなむらがあることがわかります。
- 中世は、一向一揆の話がまとまって残っている
- 1491年から明治9年までの約380年は、これまでの記事では年号がひとつも出てこない
- 明治以降は、神社・合併・川・商店街・郵便局と、記録の種類が一気に増える
江戸時代の米泉村について、これまでの記事で書けたのは「江戸時代の登記にも『よねいずみ』の表記が見られる」ということだけです。この間の出来事は、今回の記事の範囲では確認できていません。
空白の理由のひとつとして思い当たるのが、米日吉神社の話です。創建年代がわからないのは、中世の兵火と伏見川の氾濫で社宝や古文書を失ったからだと伝わります。記録を持っていたはずの場所が、記録ごと流されている。年表の空白は、そのまま川の記録でもあるのかもしれません。
川の行が、時代をまたいで出てくる
年表のなかで、伏見川は何度も顔を出します。神社の古文書を流したと伝わる川が、昭和49年に氾濫し、平成18年には水位を知らせる川になりました。
米泉町は、伏見川が米泉小学校の脇を流れ、その先で高橋川と合流していく低い土地です。米日吉神社の祭神のひとり大山咋神は、石川県神社庁の由緒で「水害を防ぐ守護神」と説明されています。年表に川の行が多いのは、この町が川と隣り合ってきた証拠でもあります。
毎年まわってくる日
年表には載せていませんが、毎年決まって米泉にまわってくる日もあります。米日吉神社の秋季祭は9月の敬老の日の前日。日付ではなく曜日で決まるので、毎年日曜日になります。春の例祭は4月14〜15日です。祭礼日のまとめは西金沢まわりの秋祭りにあります。
鉄道の年号は西金沢と鉄道の120年でまとめています。あわせて読むと、駅の東側の町と、駅そのものの歩みが重なって見えてきます。