8.4キロの線路に、駅が21。平均すると400メートルごとに駅があった計算です。1955年に姿を消した北陸鉄道松金線は、いまの感覚でいえば電車というより路線バスに近い間隔で停まる路線でした。
この記事は野々市市側の停留所跡を多く扱います。金沢市側(野町〜米泉)の駅跡の位置は、今回の調べでは確認できていません。
松金線の成り立ちと廃止までの流れは、消えた鉄道・北陸鉄道松金線にまとめています。今回はその続きとして、駅そのものに目を向けます。
21駅の一覧
Wikipediaに載っている、野町〜野々市間が廃止される前(1944年まで)の駅一覧です。所在地も同じ表の記載にしたがっています。
| 駅名 | 営業キロ | 所在地 |
|---|---|---|
| 野町 | 0.0 | 金沢市 |
| 八幡裏 | 0.2 | 金沢市 |
| 泉 | 0.4 | 金沢市 |
| 泉新町 | 0.8 | 金沢市 |
| 有松 | 1.3 | 金沢市 |
| 二万堂 | 1.6 | 金沢市 |
| 米泉 | 2.1 | 金沢市 |
| 押野丸木 | 2.6 | 石川郡押野村 |
| 野々市 | 3.2 | 野々市町 |
| 中野々市 | 3.4 | 野々市町 |
| 野々市西口 | 3.7 | 野々市町 |
| 太平寺 | 4.4 | 野々市町 |
| 稲荷 | 4.7 | 野々市町 |
| 三日市 | 5.4 | 郷村 |
| 田中 | 5.9 | 郷村 |
| 本田中 | 6.2 | 郷村 |
| 番匠 | 6.8 | 松任町 |
| 徳丸 | 7.3 | 松任町 |
| 八ツ矢 | 8.0 | 松任町 |
| 東町 | 8.2 | 松任町 |
| 松任 | 8.4 | 松任町 |
駅間が0.2キロしかない区間は4つ。野町〜八幡裏、八幡裏〜泉、野々市〜中野々市、東町〜松任がそうです。200メートルなら、歩いても数分の距離です。
このうち野町から野々市までの3.2キロ、8駅分(野町〜押野丸木)は1944年4月18日に廃止され、残る松任〜野々市の5.2キロも1955年11月15日に廃止されました。
西金沢エリアに近いのは米泉と押野丸木です。押野丸木の所在地が「押野村」になっているのは、押野が金沢市に編入される前の話だからです。押野村のその後は、押野はなぜ金沢市と野々市市に分かれているのかをどうぞ。
街道の上を走っていた
野々市市のパネル展「ののいち歴史探訪 松金線をたどる」の資料(PDFは2011年作成)によると、松金線は旧北国街道にレールを敷いた馬車鉄道として始まりました。1904年(明治37年)11月、松任町から野々市を経て金沢市有松までを、馬が客車を引いて走ったと書かれています。
つまり松金線の線路は、加賀藩の時代から人と馬が行き来していた街道の上にありました。宿駅だった野々市に駅が集まっているのも、そう考えると自然な並びに見えます。街道の話は旧北国街道と押野に書いています。
同じ資料には、馬車鉄道のころ野々市町内に置かれた停留所として、三日市町・野々市西口・中野々市・野々市東口の4つが挙がっています。上の表とは名前が一部ちがい、時期によって駅の名前や数が変わっていたようです。
「野々市東口」が上の表のどの駅にあたるのかは、今回の調べでは確認できていません。
停留所跡は、いまどこか
同じ資料は「街の中に線路などは残っていません」としたうえで、停留所のあった場所を紹介しています。
- 野々市停留所跡 — 現在の北陸鉄道野々市駅
- 中野々市停留所跡 — 本町1丁目、北川農機具商会倉庫の横
- 西口停留所跡 — 若松町、柳森生花店の周辺
- 太平寺停留所跡 — 太平寺交差点の付近
- 稲荷停留所跡 — 稲荷神社の周辺
- 三日市停留所跡 — 国道157号線沿い
松金線の野々市駅の跡が、いまの石川線野々市駅だという点は覚えておくと便利です。野々市という名前の駅は時代によって指すものがちがい、混同しやすいからです。
なお、この資料のPDFは2011年の作成です。目印になっている商店や倉庫が、いまも同じ場所にあるかは確認していません。
押野丸木駅と、金沢市側の野町〜米泉の駅跡がどこにあったかは、今回の調べでは確認できていません。現地で手がかりが見つかったら書き足します。