米泉町の氏神は 米日吉神社(よねひよしじんじゃ)です。読みは「よねひよし」。
この神社、創建がいつなのかわかっていません。理由がはっきりしていて、中世の兵火と伏見川の氾濫で、社宝や古文書を失っているからです。記録が流されてしまったので、いつ始まったかを示すものが残っていない。
祭神は「水害を防ぐ神」
石川県神社庁によれば、祭神は 大山咋神(おおやまくいのかみ)と 大己貴神(おおなむちのかみ)。
同庁の由緒は、大山咋神を須佐之男命の孫とし、山野河川を治めて水害を防ぐ守護神である、と説明しています。
伏見川の氾濫で記録を失った神社が、水を鎮める神を祀っている。因果がどちらを向いているのかはわかりませんが、川と隣り合って暮らしてきた町の氏神としては、筋の通った顔ぶれではあります。
米泉町は伏見川が米泉小学校の脇を流れ、その先で高橋川と合流していく低い土地です。この地形の話は一向一揆の拠点は米泉にあったでも触れました。
「日吉社」から「米日吉神社」へ
増泉の春日神社が公開している資料によれば、この神社はもともと 日吉社 と呼ばれて親しまれており、明治12年10月15日に「米日吉神社」へ改称したとされています。
同資料には、天仁元年(1108年)に神体が一時搬出されたという口伝も紹介されています。事実として確かめられたものではなく、伝承のひとつとして受け取るのがよさそうです。
天仁元年の口伝は、神社側に伝わる話として紹介されているもので、裏付けとなる史料は今回の調べでは確認できていません。
「日吉」の名は、比叡山のふもとの日吉大社にさかのぼる山王信仰の系統です。西金沢の周辺には山王系の社が点在していて、押野の高皇産霊神社にも「押野山王神社は当社だと伝えられる」という由緒が残っています。
社殿は昭和39年の建物
いま建っている社殿は比較的新しいものです。
| 鎮座地 | 金沢市米泉町8丁目126 |
| 祭神 | 大山咋神・大己貴神 |
| 氏子区域 | 金沢市米泉町1〜10丁目 |
| 社殿 | 明治9年に再建、老朽化のため昭和39年(1964年)に新築 |
明治の社殿が90年ほどで建て替えられ、その昭和39年の社殿が、いまでもう60年を超えています。
米泉の中の、ちいさな役割分担
もうひとつ、地元ならではの話を。
春日神社の資料には、米泉地内はすべて米日吉神社の氏子区域である一方、地鎮祭や入居の浄祓いといった「土地に根ざした祭り」は春日神社が受け持つと決められている、という記述があります。
氏神は米日吉神社、土地まわりの祭祀は五箇庄総鎮守の春日神社。町の中で、そういう分担が続いてきたようです。
例祭日については、石川県神社庁のページに記載がなく、確認できていません。
西金沢駅から東へおよそ1km、歩いて15分ほど。住宅と工場のあいだにある、特別な設備のない神社です。ただ、創建年代がわからないという事実そのものが、この土地が何度も水をかぶってきた記録になっている——そう思って立つと、少し見え方が変わります。