西金沢駅から南へ歩いていくと、どこかで金沢市が野々市市に変わります。ところが歩いていて「いま越えた」と気づく瞬間は、ほとんどありません。看板も川も坂もなく、住宅とアパートが同じ調子で続くだけだからです。

この記事は、その境目そのものを手がかりにして駅の南側を見直す回です。なぜ市境がこんな形になったのかは押野はなぜ金沢市と野々市市に分かれているのかに書いたので、こちらは「いま歩くと、どこで市が変わるのか」に絞ります。

この一帯では、道路や水路のどれが境界線そのものなのかを、今回の調べでは特定できていません。以下は町名・住所・駅の所在地から言えることだけを並べています。

押野は、両方の市にある

いちばんややこしいのが「押野」です。金沢市にも野々市市にも、同じ名前の町があります。

丁目世帯・人口
金沢市押野1〜3丁目1,013世帯・2,393人(2018年4月1日現在)
野々市市押野1〜7丁目1,903世帯・4,417人(2018年3月31日現在)

丁目の数も人口も、野々市市側のほうが大きい。1957年に押野町のおよそ3分の2が野々市町へ移ったという経緯が、そのまま数字に出ています。野々市市側が「押野一〜七丁目」という住居表示になったのは1989年7月のことです。

野々市市押野の北に接しているのは、金沢市八日市・金沢市押野・金沢市米泉町。つまり金沢市押野の南側で市が変わることになります。住所を頼りに歩くなら、ここが目印です。

たとえば押野2丁目にあるじんずし 押野店は金沢市側の店です。同じ「押野」でも、少し南の高皇産霊神社は野々市市側にあります。

石川線なら、一駅で市が変わる

歩いて分かりにくいものも、鉄道だと一発で分かります。北陸鉄道石川線に乗れば、新西金沢駅の次が押野駅。新西金沢駅は金沢市、押野駅は野々市市押野5丁目です。この一駅のあいだで市が変わります。

押野駅は単式ホーム1面1線の無人駅で、開業は1915年(大正4年)6月22日。新西金沢駅と同じ日に生まれた駅です。石川線の歩みそのものについては石川線と新西金沢駅にまとめました。

ホーム1本と短い上屋があるだけの駅ですが、「ここから野々市市」という線を、いちばんはっきり示してくれる場所でもあります。

市境を無視しているものもある

行政の線が引き直されても、それに合わせなかったものがあります。押野の産土神である高皇産霊神社です。

神社そのものは野々市市押野1丁目にありますが、氏子区域は金沢市押野2〜3丁目と野々市市押野1〜7丁目の両方。市境の両側が、同じ神社の氏子です。1957年に引かれた線を、氏子という古い結びつきのほうは越えたまま残った、ということになります。

境目を探して歩くと、こういう「線を無視しているもの」のほうが目につくようになります。江戸時代に京へ向かった旧北国街道も、当然ながら市境とは無関係に南北へ抜けていました。

さらに南は、まるごと野々市市

押野を越えてさらに南西へ進むと、御経塚に入ります。ここはもう全域が野々市市です。

  • 御経塚遺跡 — 約3700年前から2500年前まで続いた縄文集落の跡。国史跡
  • アークスクエア御経塚 — 2023年6月28日開業の大型商業施設。イオン御経塚(旧・御経塚サティ)の跡地

どちらも西金沢からいちばん近い「大きな行き先」ですが、住所はどちらも野々市市。最寄り駅もIRいしかわ鉄道の野々市駅で、西金沢駅の隣駅になります。

石川県内には「野々市駅」を名乗る駅が複数あります。御経塚方面の最寄りはIRいしかわ鉄道の野々市駅で、上に書いた石川線の野々市駅とは別の駅です。経路検索のときにご注意ください。

境目を意識して歩くと

まとめると、駅の南を歩くときの目印はこのあたりです。

  • 金沢市押野は1〜3丁目まで。その南から野々市市押野
  • 石川線は新西金沢駅の次、押野駅から野々市市
  • 御経塚は全域が野々市市
  • ただし高皇産霊神社の氏子区域は、市境をまたいだまま

ごみの出し方も、学校区も、届け出の窓口も、この線の内と外で変わります。住んでいる人にとっては生活の前提ですが、歩いている分にはまったく見えない。見えない線を探しながら歩くというのは、この一帯のちょっと変わった楽しみ方かもしれません。

参考