3社のうち高皇産霊神社は野々市市側にあります。米日吉神社と中村神社は金沢市です。

西金沢のまわりには、このサイトで取り上げてきた神社が3つあります。並べてみると、それぞれの「由来の話」の中心がまるで違うのが面白いところです。

  • 米日吉神社は、川の話
  • 高皇産霊神社は、市境の話
  • 中村神社は、建物の話

どれも創建の古さや規模を競うような神社ではありません。そのかわり、土地が経験してきたことが、それぞれ別の角度から残っています。

神社所在地由来の軸記録に残る節目
米日吉神社金沢市米泉町8丁目伏見川の氾濫明治9年再建、昭和39年新築
高皇産霊神社野々市市押野1丁目市境をまたぐ氏子区域明治44年に社殿落成・移転
中村神社金沢市中村町金沢城から移築した拝殿1965年に拝殿を移築

米日吉神社 — 記録を流した川

米泉町の氏神、米日吉神社は創建年代がわかっていません。中世の兵火と伏見川の氾濫で、社宝や古文書を失ったと伝わるからです。

祭神は大山咋神と大己貴神。石川県神社庁の由緒は、大山咋神を山野河川を治めて水害を防ぐ守護神と説明しています。川に記録を流された神社が、水を鎮める神を祀っている、という取り合わせです。

もとは「日吉社」と呼ばれ、明治12年に今の名前へ改称したとされています。社殿は明治9年に再建され、昭和39年(1964年)に新築されました。西金沢駅から東へおよそ1km、歩いて15分ほどです。

伏見川そのものがどんな川だったのかは、伏見川の水害史にまとめています。

高皇産霊神社 — 線が引き直されても残った氏子

押野の産土神、高皇産霊神社も創立年代は不詳です。「押野山王神社は当社だと伝えられる」という由緒が残っています。

この神社の話の中心は、氏子区域です。

  • 金沢市押野2〜3丁目
  • 野々市市押野1〜7丁目

市境の両側が、同じ神社の氏子になっています。押野はもともとひとつの村でしたが、1956年に金沢市へ編入されたあと、1957年に一部が野々市町へ再編入されました。行政の線は引き直されても、氏子の結びつきはそれ以前のかたちで残った、ということです。

市が分かれた経緯は押野はなぜ金沢市と野々市市に分かれているのかに書きました。

中村神社 — 城から来た拝殿

3社目の中村神社は、由来の話が「建物」に寄っています。拝殿は、旧金沢城二の丸御殿の舞楽殿(能舞台)を移築したもので、2004年に国の登録有形文化財になりました。

この建物は1870年に卯辰山へ移され、越後戦争で戦死した加賀藩士を祀る顕忠祠になります。中村神社へ移ってきたのは1965年のことです。欄間には一本彫りの龍、塗格天井には極彩色の絵があり、神社の建物というより御殿の建物、という印象を受けます。

神社そのものは平成21年に御鎮座1100年を迎え、もとは犀川の右岸にあったとされています。西金沢駅から北東へおよそ2km、自転車でちょうどいい距離です。

3つを並べてわかること

同じ「神社の由来」でも、語られていることの種類がばらばらです。

  • 米日吉神社には、自然(川の氾濫)が刻まれている
  • 高皇産霊神社には、行政(市町村合併)が刻まれている
  • 中村神社には、城下の歴史(御殿建築の移築)が刻まれている

創建の年がわからない神社が2つ、建物が遠くから運ばれてきた神社が1つ。記録が欠けている部分も含めて、それぞれの土地の履歴書のように読めます。

米日吉神社と高皇産霊神社の祭礼日は、石川県神社庁のページに記載がなく、確認できていません。

参考